Yoga

【ヨガ】不盗(アスティア)から考える時間の使い方

ざっくり言うとヨガの教え、哲学には、「すべきこと、してはいけないこと」というものがあります。今回はその「してはいけないこと」の中でも『不盗(アスティア)』について書いてます!

ネットで色々調べたものの、あまり深く書いてある記事がなかったので、現時点での考えを備忘録も兼ねてまとめてます。そしてそこから、この考えがどんな風に日常生活に役立つのか、役立ったのかをシェアしていきたいと思います!

ヨガには八支則という、ヨガを実践する上で、「心の作用を止滅する(心を制御する:パタンジャリのヨーガ・スートラより)」という目的を達成するにあたって8段階あります。その第1段階ヤマ(してはいけないこと)の内の1つにアスティア(不盗:盗まない)があります。



不盗の根源になる考えとは

『まだ足りない、満たされない』という心

不盗は文字通りの意味でいうと、盗まないこと。お店から商品を盗んでしまったり、人から借りたものを返さなかったりしないこと。
つまり、他者に所属しているものを勝手に自分のものにしないこと。(当たり前だけど)

これは、他者と比較した時に、「自分に足りないことがある、自信がない」と思ってしまうことが原因みたい。その心から、あれが欲しいという欲望が発生して、盗んでしまう。
隣の芝生は青く見えるという気持ちは自信の無さのあらわれだってことかな。

物質以外も盗んではいけない

「機会」を奪ってはいけない

ぼくなりに不盗を考えた時、考えやすくするために大きく分けると2つに分けられると思いました。

1つ目が文字通りの「物質」を盗むこと。
前述の通り、お店からものを盗むこと、それから会社の備品を私用で使ってしまうことなんかも当てはまるよね。

2つ目がこの「機会」を盗むこと。
わかりやすい例でいうと、約束に遅れて人を待たせることを想像して欲しい。この時、相手はその待ち時間分、なにかをする「時間」を失っているわけだ。もう1つ例をいうと、何かの使用権を独占して、他人が使う「機会」を奪っている時だ。例えば、なにも使う予定のない自分の土地を保有だけしておいて、使用したい人があらわれても交渉せず、その人の使用機会を奪ってしまう。
もちろんお金もそうだなと思う。目的もなくお金を溜め込んで循環させないのも、どこかの誰かが使用する機会、稼ぐ機会を盗んでる。

※A君のCD(物質)を盗むことで、A君がその音楽を聴く機会を盗む訳だし、お店のりんご(物質)を盗むことで、お店が稼ぐこと(物質、機会)を盗む訳なので、本質的には同じことであるとは思うけど、考えやすく理解しやすくするために2つに分けました。

ちなみに、ヨガの練習の時、人が集中して練習する機会を奪うことも注意が必要。ジロジロ見たり、香水のつけすぎだったりしないよう、マナーを守って全員が気持ちよく集中できるようにしないといけない。ヨガの考えは練習時(On the mat)とそれ以外の生活(Off the mat)のどちらにも適用されるようにできている。

忘れてはいけない盗んではいけないものとは

自分の時間(人生)

ここまで、人の物、機会を奪ってはいけないと書いたけど、この「人」にはもちろん自分も含まれる。例えば、だらだら意味のないネットサーフィンをしたりゲームをしたり。もちろんそれが全力で楽しんでいるのであれば問題ないけど、「なんとなく自分の時間を奪っている」というのは、不盗に反していると思う。それから、嫌なことを続けること、嫌いな会社・仕事、習慣でやってる無駄なこと、人との付き合いでやってる嫌なことなんかも、間違いなく自分の時間を奪っている。

パタンジャリのヨーガ・スートラを読んだ時、この文がなぜかすごく気になった。

「われわれは全て盗人である。知っていながら、ある一は知らないうちに、われわれは自然から盗んでいる。一瞬一瞬、一息ごとに、われわれは自然からかすめ盗っている。ー誰の空気をわれわれは吸っているのか?自然のである。だからと言って息をするのをやめて死ねと言っているのではない。その代わり、一息一息を敬虔に受け取り、それを他者のために使うのだ。そうすればわれわれは盗んでいるのではないことになる。」

1ヶ月ほど考え続けた結果、「ブログを書きたいけど、今はだらだらとスマホいじりたいな」と思ってる時にふと気づいた。これって自分の時間を盗んでるってことじゃないのか?って。

ガンジーのように人に奉仕することはもちろん、自分が懸命に生きて、一瞬一瞬を楽しんで、自分の時間(人生)を無駄にしなければ、それも自然から盗んでいる訳ではなくなるかなって。

最後に

一番最後に書いた「自分の時間、人生を盗んではいけない」というのは、ほとんどのサイトで書かれていませんでした。ヨガは自分で経験、考えることが大切だと思うので、だからかもしれないし、まだまだヨガの知識・哲学部分は一般に広まっていないからかもしれないし、ただぼくが間違っているからかもしれないし、それ以外かもしれないです。

ヨガ哲学っていうと、「小難しそうなイメージで、ヨガをやる人のためでしょ?」って思われてることが多そうだし、そう思ってました…
でもこんな風に、普段の生活にも取り入れられることもあって、もっと学びたい考えたいなと思ったり、ヨガをやってない人に簡単にシェアできたらなんて思います。
ブログも書かずにゲーム始めたら、心の中で「アスティア、アスティア(不盗)」って唱えてるよ最近。意外と効果アリ。笑



実はいま、アシュタンガヨガのティーチャートレーニングを受けています。
その中で、各生徒がヨガ哲学(の八支則)について調べてくる課題があって、自分の担当の1つが今回のアスティアでした。もともとなんとなく知ってはいたものの、本気で考えたことがなかったので、いい機会だなとずっと考えてました。こんな機会をもらえて、集中して考えることができたので、ありがとうございましたです。

不盗は知足(サントーシャ)、不貪(アパリグラハ)とも関係が深いのかなとも思いましたが、それはまたいつか!

※ティーチャートレーニングとは
実はヨガには、これをとったからインストラクターになれるという資格はないのです。(インストラクターだと名乗ってしまえば誰でも、なれてしまいます。)その代わりではないですが、ヨガをもっと深めたい、人への教え方を学びたいっていう人は、学びたいと思った先生のティーチャートレーニングのコースに入ることが多いです。普段のクラスでは学べないことまで学べます。